Photo © Masao Nishikawa

被災地の復興はまだまだ道半ばという事実を、鵜住居の現場に行くたびに感じ、我々を含めた被災していない人々の日常生活とのギャップを実感する日々であった。津波によって街のほとんどが流されてしまった土地に於いて、建築に何が可能なのか。

新たなまちをつくるための道路の付け替えや土地の嵩上げなどを含めた区画整備事業、そして復旧される予定のJR山田線の鵜住居駅と学校を結ぶ約200mのメインストリートなど、おぼろげながら骨格が見え始めている中で、私たちはその新しいまちと向き合うように子どもたちの居場所を設定した。
学校は、海からもっと離れた山の方にするべきだとの声もあったと聞く。「住民が戻らないと学校が成り立たない。学校が戻らないとまちに人が戻らない。」というジレンマ。最終的には、まちの復興には、中心部であるここに学校を再建するしかない、と地域住民との議論を経て決まったという。そのような場所で、私たちはここに通う子どもたちのアクティビティそのものが、新しい鵜住居のシンボルになると考えた。高台にある校舎からは、復興するまち全体を見渡すことができ、まちからは高台の校舎で生活する子どもたちの成長を見守ることができる。

敷地は鵜住神社、白山神社を擁する山を切り拓いた安全な高台。当初は、この山を約50万㎥掘削し敷地とする予定であった。しかし、土木と建築の一体的な提案を望むという、日本のプロポーザルでは稀な設定に対し我々は谷筋を残し掘削量を13.6万㎥にまで減らす提案をした。(それによって、土木に要するコストと工期を大幅に削減できる。)

グラウンドを海抜15m、小学校校舎敷地を18m、沢をまたぐ中学校校舎敷地を26mとし、校舎全体を大階段が繋ぐ構成とした。175段の大階段は、メインストリートを経て駅へとつながるまちの軸となる。

被災地の建設物価高騰から、鉄骨造以外の選択肢はなかった。仕上げに於いては、すべてを仕上げで包んでしまうのではなく、柱、梁、ブレースなどの要素を徹底的に整理、合理化し、建築の構成が空間としてそのまま現れるようにした。明快な骨格に対し仕上げ面は使われ方に合わせて様々な表情を持った要素として付加される。小学校(階段棟)ではセミオープンプランの中に、壁や大型建具として、掲示やホワイトボード、吸音壁など子どもたちの多様な学習の場を形成するための設えとなる。中学校棟(ブリッジ棟)では、最上階の天井高さ4mを確保し、梁の耐火被覆をなくした空間に、トップライトや開口部からの光を受ける面として、木毛版、ポリカ波板、OSBやラーチ合板、カラー鋼板など場所に応じて多様な表情を与えることで、プラン上は中廊下的な空間に生徒たちのアクティビティを誘発する動きや変化を与えた。

学校としての多様な学習の場を許容するために建築としての強さを持つこと。
今後もまちの拠点となる場所として、多くの人々の活動を受け止められること。
そして、夜間真っ暗になる鵜住居の暗がりのなかに希望の光を灯すこと。
震災直後からアーキエイドの活動などを通して被災地に通い続け、真正面から多くの問題に向き合ってきた小嶋一浩は、土木と一体的な計画だからこそ成立し得たこの学校の計画に新しい可能性があると考え、土木と建築とがかみ合わない復興計画に対する一つの問題提起として切り込んでいった。その志半ば、現場の途中で急逝した小嶋の思いが、鵜住居を始め、東北の震災復興の、そして今後の建築の在り方に対するひとつの答えとなり、灯りとなることを願っている。

Photo © Masao Nishikawa
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釜石市立釜石東中学校・鵜住居小学校・鵜住居幼稚園・釜石市鵜住居児童館

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Location
岩手県釜石市, Japan
Year
2017

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